2010年12月24日

なんでだか…

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本日、久〜しぶに会うスットコドッコイ仲間と下らない話で盛り上がる会合がありまして、ヒョンなことからどんなグループが好きかってな話題になりまして、なぜだかお互い「長いバンド名」にお気に入りが多いってことを再発見し大いに盛り上がったりしましてね。

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      例えば…
      アース・ウィンド・アンド・ファイア
      アラン・パーソンズ・プロジェクト
      エマーソン・レイク・アンド・パーマー
      エレクトリック・ライト・オーケストラ
      グランド・ファンク・レイルロード
      クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル
      クロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤング
      ナインティーン・テン・フルーツ・ガム・カンパニー
      ニッティ・グリッティ・ダート・バンド
      バックマン・ターナー・オーバードライブ
      ハミルトン・ジョー・フランク・アンド・レイノルズ
      ブラッド・スエット・アンド・ティアーズ

日本だとすぐにCSN&Yとか略しちゃうんだけど、向こうの人たちって別にメンド臭がらずにちゃんと発音してるのがやっぱりなんだかカッコ良く聞こえるんですよね。で、妙チクリンなグループ名なんだけど、実はけっこう深い意味があったりするのも多くてね。

もちろん、シカゴとかトトとかイエスみたいなシンプル極まりないグループ名のアーティストたちにもお気に入りはいっぱいいるんですけど、このダラダラ長いグループ名、なんでかな〜、魅力的に感じちゃんうんですよね〜。で、古いCDをヘビーローテーションさせてる今夜です。

posted by 用務員 at 01:25| Comment(4) |  Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月19日

アマノジャへの道 - L2

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まぁそんなこんなを経て中学生になりまして、その自転車屋さん(なんて言うと平たすぎますね。ボクにはまるで鹿鳴館とか長崎の出島みたいな存在です)に通っていますと、それこそツールドフランスやらのとてつもないロードレースが、ヨーロッパにはあることが分かってきます。

まぁなんでもかんでもレースがイチバン!…ってわけではないんですけど、やっぱりカッコ良く見えるわけですよ。輸送機よりは戦闘機、バスよりはスポーツカー…いえいえそれよりレーシングカー…まぁ中学生ぐらいだと、当然そんな感覚の中で生きていますわね。

1970年代に入った頃、自転車レース界のヒーローは、エディ・メルクスという人でした。ヨーロッパ発の自転車雑誌にもいっぱい記事が載っていて、印象としては大スターっていう感じかなぁ。当然、中学生としては感化され、自転車界の長嶋茂雄だと勝手に思い込みます。

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こういう、少年時代に刷り込まれたヒーロー感っていうのは、なかなか揺るがないものですね。それが、織田信長だったり坂本龍馬だったり王貞治だったり人それぞれいろいろあるでしょうけど、まぁそういうモノを信じて没頭するのも、少年期の特権と言えるかもしれません。

いまだに、誰かと喋っていて自分の口から「本田宗一郎」とか「長嶋茂雄」とかの名前が出る時、ほんのちょっとだけ背筋がピンとしちゃうのを感じますが、エディ・メルクスさんなんてのも、ボクにとって間違いなく「背筋ピンと効果」のある人物のひとりです。

このメルクスさん、ツールドフランスを5回制しています。それ以前にもう一人5回勝った人はいるんですが、なにやらメルクスさんの扱いは特別でした。ツール以外の大きなレースに勝っているのは勿論ですが、やっぱりスター性みたいなものが群を抜いていたんではないでしょうか。


とかなんとか言いながら、中学3年間をクラブ活動とプラモデル作りに費やしたもんですから、いつの間にか自転車熱も下がってゆき、16歳になって原付の免許をとるころには新たな興味やら体験で毎日がいっぱいいっぱいになってきます。ま、青春なんてのはそんなもんですわね。

メルクスさんはツールに5回勝っているんだけど、1969、70、71、72年と4連覇して、73年は勝ってなくて、74年に復活したと知ったのは、ちょっと後になってからのことだったと思います。73年はルイス・オカーニャという人が、どうやらまぐれみたいに勝ってるんですけどね。

当然「あのメルクス様を負かすとはどんなヤツやねん!」と思うわけですが、このオカーニャさん、調べてもどんな人なのかさっぱり分かりませんでした。ま一発屋だったんでしょうってことで納得し、興味はこの人の乗っていた「Motobecane」という自転車に移っていきました。

当時、聞いたこともない自転車です。現地ではツール優勝記念モデル(下の写真)なんてのが発売されたんですが、極東の端っこの若造がそんな現物を目にすることもなく、その後もずっと「謎の自転車」。でも「い〜や、なにかあるに違いない」という想像をかき立ててくれる存在でした。

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回りの自転車通の大人たちの発音は「モトベカーヌ」でした。後にモトベカンとかモトベカーンと発音する人がいることも知りましたが、初期刷り込みってのは根強く残るもので、Motobecaneはあくまでもモトベカーヌ。ボクらの年代はティレルなんて発音しません。タイレルですよね。

ま、その後どんどんバイクに傾いていっちゃって、自転車とは随分と疎遠な時期が続くことになるんですが、このモトベカーヌって名前はなんとなくいつも心のどこかに引っかかった感じでした。見たこともないっていうのは、それはそれで夢を膨らませてくれますよね。

ところが、80年代に入ってヨーロッパに出かけていくようになって、初めて現地でモトベカーヌと巡り会うことになります。もうビックリたまげました。例えば、パリの外れのしょぼい食料品店の前に停まっているくたびれた買い物自転車の半分は、モトベカーヌなんです。

さらに驚くのは、裏通りのそこら中に置きっさらしてあるモペッドというかシクロ(ペダルの付いた自転車みたいなヤツ)の3分の2はモトベカーヌ(正式にはモトコンフォートというブランド名ですが)。つまり日本における宮田の自転車とカブみたいな感じ。拍子抜けもいいところです。

よ〜く探してみると、ロードモデルもありましたよ、たま〜に。でもね、ぜんぜんカッコいいとか素晴らしい作り…とか言うもんじゃなくて、ちょっと膝カックンなモノばっかり。思い知りましたね、極東で勝手に夢ふくらましてた自分が、いかにトンチンカンだったかってこと。

でも、これはこれで良い勉強です。雑誌を見たり自分勝手に煮込んだだけのイメージが、いかに現実とかけ離れているものなのかって。ちょっと大袈裟に言えばとても大切な教訓を与えてくれたようなもんです、モトベカーヌは。で、現地の自転車屋さんに飛び込んでみることになります。
posted by 用務員 at 23:57| Comment(0) |  Bicycle | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月18日

アマノジャへの道 - L1

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この秋、親父が入院しましてね。まぁそれほど重篤であるとか深刻なものではなく助かったんですが、その入院先の病院が武蔵野市は吉祥寺の外れにありまして、実はこの病院の界隈、子供の頃に随分と通った所だったんですわ。小学生から中学生にかけての時分です。

ワタクシめ小学校6年の時に、初めてドロップハンドルの自転車を買ってもらいました。ブリヂストンのBS-27っていう、まぁ小学生にしちゃぁ結構背伸びしたモデルで、それまで親戚に貰った24インチの子供用で喜んでたガキンチョが、いよいよ生意気街道に乗り出したわけです。

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で、24インチではせいぜい友達の家くらいが行動の限界だったガキンチョは、隣町とか2〜3個先の駅あたりまで自由に行けるようになりまして、こりゃもう画期的な出来事なわけです。初めは、それまで知らなかった模型屋さんを発見したりなんて程度が、その主な目的なんですが。

これは多くの男子が経験することですが、乗り物のステップアップと自我の成長には密接な関連があるものですね。子供用24インチが大人用スポーツ自転車になるということは、それにともなって興味の対象や意識や経験までもが急速に、どんどん拡がっていくものです。

行動範囲が拡がるというのは、単に物理的な活動の面積が拡大することに留まらず、行った先で多くの人やモノと出会う機会を拡げることにもなります。まさに物心両面での、自己の拡大ですね。27インチの自転車に乗るということはそういうことなんだと、ガキンチョは知りました。

小6の子供にとって、それによってもたらされる見聞の拡がりったらとてつもなく、それまで自分の畑を耕すのが精一杯だった貧農が、咸臨丸でアメリカ行った勝海舟みたいな状態って言ったら大袈裟ですが、そのくらいの発見とか刺激とかを受けちゃうことになります。


吉祥寺の外れに「東京サイクリングセンター」という自転車屋さんがありました。発見したのは、そのBS-27に乗り始めてすぐだったと思います。1968年くらいのことですかね。家からの距離にすれば3km程度の近くなんですが、そこは咸臨丸で行ったような「別世界」でした。

そのお店のオリジナルでゼファーというブランドの素晴らしい完成車がありましてね。その名前は「地中海に吹く季節風のことなんだよ」なんてロマンチックなことを教えてもらうと、小6のガキンチョとしてはもうワインでも飲まされたようにポワ〜っと酔っちゃうわけです。

(後年、同じ名前のバイクが出しましたけど、その時は「ケッ!どこが地中海と関係あんねん、こんなバイク!」なんて思ったもんです。随分とヒネクレた見方して御免なさいねカワサキさん。ついでに、ゼファーをスペイン風に言うとセフィーロなんですね。まいっか、そんなこと)

で、その東京サイクリングセンターには、まさに宝石みたいなヨーロッパ製の自転車も置いてありましてね。塗装やらラグやらカンパニョーロの部品の綺麗さだけでもクラクラしちゃうほど魅力的なんですが、値札を見ると自分のBS-27の10倍とか20倍とかのがゴロゴロありましてね。

まったく、乗用車が買えるような値段なわけです。まぁその頃といえば、自家用車を持ってるなんてのは商売をやっている家に限られ、クラスに数人いたかいないかぐらいです。そりゃもう、クルマみたいな値段の自転車を見て意識朦朧としちゃうの、お分かりいただけますよね。

その吉祥寺の外れに存在する「異国の香りプンプンのお店」には、ヨーロッパの自転車雑誌なども置かれていまして、借りてきた猫の尻尾くらいに小さくなって店内の隙間に入り込んでは、それらを見せてもらうのが最大の楽しみになっていきます。もちろん写真を見るだけですけど。

だけど、内容だって知りたいですからね。優しそうな大学生みたいなお兄さんを見つけてはいろいろ質問をぶつけると、まぁだいたいのことは教えてくれましてね。たぶん記事に書いてあることの30%くらいは知識として得ることが出来たんじゃないかと思います。そりゃ大収穫です。

小6で乗ったドロップハンドルと、東京サイクリングセンターで見たヨーロッパ製の自転車や雑誌。う〜ん、いま思い返せば、やっぱりこの辺りが自分の出発点なのかな〜と思います。ちなみにツールドフランスの出発地点のことを「グランデパール」と言います。なんちってね。

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posted by 用務員 at 00:03| Comment(0) |  Bicycle | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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